「ベストを尽くして我慢する」

A. ベストを尽くして、我慢する

 「ベストを尽くして、我慢する」と言ったのは、有機農業家・金子(かねこ)美登(よしのり)氏です。農薬を使わない有機農業は、疫病や害虫などの影響で毎年豊作を望む事は難しく、問題が発生すると金子氏は、考えられるあらゆる手を打った上で、その結果を天にゆだねました。最善を尽くして、主の御業が現われるまで我慢する、というのは聖書の真理であり、忍耐は練達を、練達は希望を生み、希望はわたしたちを欺くことはないのです(ローマ5:5〜6)。
 使徒パウロの宣教活動に同行したマルコは、途中で止めてしまいます。私たちもそんな状況に陥っても、忍耐し、希望を捨ててはならないのです。

B.聖書より

 パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。使徒言行録13章13節
 このヨハネは、マルコによる福音書を書いたヨハネ・マルコとして知られている人物です。マルコは、パウロの第1回伝道旅行に従いました(使徒13:5)が、パンフィリア州から、エルサレムに引き返してしまいます(使徒13:13)。理由は分かりませんが、ともかくマルコが引き返したことは、パウロにとっては許しがたいことでした。
 約20年後、再び聖書に登場するマルコは、若い時と比べて成長し、役に立つ者となっていました。パウロがローマで迫害のため牢に入れられた時、コロサイ人への手紙に、「マルコが行ったときには受け入れて欲しい」と書いています。マルコとパウロは和解し、生活を共にしてパウロに仕えていたのです。神さまの恵みにより、かつて裏切り者であった人間が、ついにはパウロに必要な人物となりました。そして、パウロやペトロの殉教後、マルコはペトロから聞いたことをもとにマルコによる福音書を書いたといわれています。イエス様を伝える働きは、力強く広がっていくのです。

C. シュヴァイツァーと別れた原住民の牧師

 シュヴァイツァー(1875〜1965)が医療宣教師としてアフリカに赴(おもむ)いた時、現地の伝道所で牧師をしていたのは、30歳の原住民オイェムポでした。彼は、非常に賢明で親切で謙遜で、礼拝の時にはシュヴァイツァーの通訳をしていました。シュヴァイツァーはその人柄に引きつけられていました。
 ところが、第一次世界大戦の終わり頃、宣教団からの支援が途絶えたので、現地人の俸給が減ってしまいます。妻と3人の子どもがいたオイェムポは、家族を支えて行けなくなったので、自分の生まれた部落に帰ってしまい、消息も分からなくなってしまいました。
 ある時、シュヴァイツァーは、偶然オイェムポと町で会いましたが、その時はお互いに忙しく、短い立ち話で、彼が材木業で成功していることを知りました。「彼は誰よりも、よく私を助けて仕えてくれた実に有能な人物で、材木業のために奪い取られ、実に惜しい男である」とシュヴァイツァーは残念がります。
 ところが、宣教師の一人が教えてくれました。「オイェムポは、確かに材木業を営んでいるが、シュヴァイツァーと共にいた時よりもずっと大きな働きをしている」ということでした。彼は故郷に帰ると、人々を説得して、バナナの大栽培場を作るために原始林を切り開く共同作業を始め、更にコーヒーやカカオも栽培し、経済的基盤を作り上げました。次に、住宅事情を改善すると、教会を設け、自ら牧師として説教にあたり伝道し、子どもたちのために学校も始めたといいます。彼こそ主に在って、草の根から地域共同体の生活を改善した社会改革者であり、オイェムポは、人々を経済的、精神的に豊かにする基盤を作ったのでした。
 (シュヴァイツァー「アフリカ物語」より)

D.結び

 福音の種を蒔く同労者が与えられても、その後、何らかの理由で別れることがあります。しかし、相手がどこに居ようとも、神さまの御手がその人に働き、クリスチャンとして成長させて頂いていることに希望を持ちましょう。伝道、または人生において最も大切なことは、最善を尽くして、我慢して主の御手を待つことなのです。御翼2010年3月号その2より


  
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